No.375【引き留め工作の代償】

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ホテルで人を管理する立場になって暫く経った頃である。

ある日、1人の女の子が事務所にやって来てこう言った。

「アタシ、ホテル、もう辞めたいんですけど・・・」

青天の霹靂である。この女の子は皆んなをまとめるリーダー的な立場にいる〈遣り手のサービス員〉で、非常に大きな戦力なのだ。今、辞められてはホテルの宴会が回らなくなることは目に見えている。

僕は引き留めに掛かった。

「・・あ、そう・・また急な話なんだねぇ・・まぁ急に言われてもなぁ・・ん~~今日の仕事終ったら、夜、時間空いてるぅ?」

「・・はい・・・」

「あっそう! じゃあ居酒屋にでも行ってユックリ話をしようか?」

「はい、分かりました」

・・・・・・・

夕方になり、2人で近くの居酒屋に入った。

生ビールで乾杯したあとの暫くは彼女の愚痴を聞くばかりであった。それにしても若い女の子とサシで飲むのは気を使うものである。

幸い彼女がかなりイケる口だったので〈チューハイ〉やら〈水割り〉やらを勧めながら、僕も相当に酒を呑んだのである。

《しかし、なんとか彼女が辞めることを阻止しなければならない》

そう思った僕は、酔いで頭がどうにかしていたのか心にも無いことを口走ってしまったのだった。

「あのさぁ・・実を言うとね・・結構前から僕は君のことが気になってたんだよ・・・だから、辞めて欲しくないなぁ・・・まぁ、僕は結婚していて子供もいることは君も知っているだろうから、どうのこうの、という話じゃないんだけどね・・」

「えっ❗️・・・」

彼女は一瞬驚いたあとに、笑みを浮かべてこう言った。

「・・・分かりました・・もう暫くここで頑張ってみます」

こうしてなんとか、彼女が辞めることを思い留めさせることが出来たのである。

・・・・・・・

あんなことを言ったからといって、彼女と僕の間になにか起こったかというと何も無いのであって、今まで通りにホテルでの仕事が続いていた。

・・・・・・・

さて、ある休日のことである。

今日の昼御飯に何を食べようかと家内と話をしていたのだが、勤務しているホテルの近くにあるおむすび屋さんの〈おむすび弁当〉を食べようということになったのだった。

三角海苔巻きおむすび2個に唐揚げやリンゴなどが添えられた人気の〈おむすび弁当〉だ。

よしっ❗️買いに行こうということになってホテル近くまでクルマを走らせることにした。

家内と小学生の娘を連れて3人で買いに行くことになった。

・・・・・・・

コインパーキングにクルマを止めて、ホテルの下を通って〈弁当屋〉の方向に歩いている時である。後ろから僕を呼び止める声がする。女の子の声だ。

「〇〇さ~~んっ❗️」

振り向くと居酒屋で酒を呑んだあの娘であった。

すると、彼女は小走りに駆け寄ってくるや、両手で僕の両手を包み込んで、見詰めながらこう言った。

「〇〇さん、こないだは御馳走さまでした~ゴミ袋を1階に捨てに来たら姿が見えたので」

「あっいやいや・・」

家内と娘は側で目を点にして立っているばかりだ。

やっと手を離した彼女は家内と娘に挨拶をする。

「あっ!奥様の〇子さんですか?〇〇さんからいつも奥様のお話聞いてます。〇〇さんにはいつもお世話になってるんですよ、お嬢さん、こんにちはっ❗️ じゃ、もう仕事場に戻らなければいけませんからこれで・・・」

そう言うやサッとホテルの方へ返って行ってしまった。

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