No.291【遠足】

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バスや電車で〈遠足〉に行くようになったのはいつ頃からだろうか?

僕が小学校や中学校の時の〈遠足〉は、歩いて遠くに行くものだと決まっていた。

当時は〈修学旅行〉〈運動会〉〈臨海学校〉などの楽しい学校行事があったが、〈遠足〉も心ときめく行事の1つであった。だから〈遠足〉の前の晩は興奮して眠れなかったものだ。

〈遠足〉は春と秋の年2回開催された。

〈遠足〉の楽しみと言えば真っ先に〈弁当〉だ。普段、まだそんなに娯楽がある時代でもなかったので、〈遠足〉となると、母親が朝早く起きて、腕を奮って弁当を作ってくれたものである。

母は予めオカズは何がいいのかを訊いて、大好物ばかりが入った弁当を作ってくれるのだ。そして母が作ってくれる弁当には、僕の大好きな〈甘い金時豆〉が必ず入っていたのである。

弁当と並んで楽しみだったのが、持っていく〈オヤツ〉だった。

〈オヤツ〉は前もって買いに行って準備をする訳なのだが、当時は皆んなが不公平にならないように、その購入金額には上限が定められていた。貧乏な家の子も金持の家の子も関係なくそれに従わなければならない。

小学校でのオヤツ費用の上限額は¥50だった。

今¥50と聞くと、とんでもなく少ないと感じる額面なのだが、当時は物価が安くて¥5のお菓子があった程で、¥50でも結構なお菓子が買えたのである。

¥50を持って店に行き、選びに選んで、悩みに悩んではやっとのことでチョコレートやガムや袋菓子などを買うのだ。そして消費税なんてないのだから¥50きっかりの買い物が出来るのだった。

金持の子が弁当と一緒に持ってくる、当時は高級品だった〈バナナ〉を〈オヤツ〉に入れるのか弁当の一部と見なすのかを、クラスで真剣に議論したこともあった。

リュックサックにもそれぞれの思い入れがあって、皆んな色々な物を競ったし、水筒なんかも最新型で魔法瓶式のヤツを持って来たヤツなどは注目の的になったりした。

中には、おじいちゃんが戦争で使ったんじゃないかと思うような、アルミで出来た丸くてデッカくて、それを皮で十字架に縛った水筒を恥ずかしそうに肩に掛けてくる貧乏なヤツもいた。

・・・・・・・

当時の〈遠足〉は、まだ戦前教育の名残があったためなのか、身体の鍛練という意味があったのだろう、小学校の〈遠足〉でもかなり遠くまで歩いていったのでヘトヘトになった。だから喉も乾くからどんどん水筒のお茶を飲むのだ。

そこで最新型の水筒やカッコだけの水筒を持って来ている者達に問題が生じるのである。

それらの水筒はいかんせん実用的ではなかった。容量が少なくてすぐに空っぽになってしまうのだ。だから沢の水などの水の補給場所に辿り着くまでは喉の乾きを我慢しなければならないのである。だから先を読んで、グッと飲みたいところを我慢して、節約しながらチビチビと飲む者もいたくらいだ。

ところがそんな中でひとりだけ水に困っていないヤツがいたのである。

それは、兵隊さんが使うような、デッカいアルミの水筒を持って来ていたヤツだった。
水筒が空っぽになって困っている皆んなの様子を見ていた彼は、大きなアルミの水筒を抱え上げて遠慮がちに言った。

「あの~お茶なら、この水筒にまだいっぱいあるでぇ~飲むかぁ~?」

皆んなは一斉に振り向いた。

救世主の登場である。

「えぇ~っ❗️お茶、あるんっ?」

「飲む飲む~っ❗️」

「〇〇君の水筒スゲーなっ❗️」

そして自分の水筒のキャップを持って彼のところに集まって来た皆んなに、少しハニカミながらも〇〇君はお茶を注いでいったのだった。

・・・・・・・

皆んなが密かにバカにしていた古くて大きなアルミの水筒が、1番いい水筒になった瞬間である。

その日の彼はヒーローになった。

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