No.584【オートバイ通学】

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僕が通っていた高校では、生徒の〈オートバイ通学〉が認められていた。その頃はバイクとは言わずにオートバイと呼んだ。

当時は16歳から〈自動二輪〉の免許を取得することが出来たので、オートバイ好きの男子生徒は挙って〈オートバイ通学〉を申請した。

あの頃は確か、二輪免許には〈原付〉と〈自動二輪〉の2種類しかなくて、〈限定解除〉とか〈大型二輪〉などのややこしい決まりは無かったように思う。だから〈自動二輪〉の免許さえとれば、排気量にも制限はなかったのだ。そしてヘルメットの着用義務も無いという、今では信じられないような時代だったのである。

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当時、生徒達が乗っていたオートバイは色々あった。

〈HONDA―CBシリーズ〉
〈SUZUKI―ハスラー 〉
〈YAMAHA―トレール 〉
〈KAWASKI  W―1〉

多くの生徒が90ccに乗っていたので、125ccのオートバイは皆んなの憧れの的であり、125ccに乗っていた数人の生徒は大いに自慢が出来た。

SUZUKIハスラー派、HONDA―CB派、YAMAHAトレール派、KAWASKI派と、生徒達はそれぞれの愛車を競い合った。

そしてYAMAHAのフラッグシップ、トレール360が出た時には一大センセーショナルを巻き起こし、ブラック塗装に金色の帯で縁取りされたガソリンタンクを見ては、皆んなが羨望の眼差しを送ったものである。

さらにKAWASKI マッハ1になると500ccのエンジンを積んでいたので、生徒達にはもう別世界のオートバイであり、「ナナハン」と呼ばれたHONDA―CB750に至っては夢のまた夢といったオートバイだった。

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さて、僕は体操部に入っていたのだが、ある時、隣町の高校の体操部と練習試合をすることが決まり、皆んなで遠征をしたことがあった。2年生の時である。

体操部にも〈オートバイ通学〉している先輩達が結構いたので、相乗りしてオートバイで行くことになった。

僕はキャプテンのHONDA―CB90の後ろ座席に跨いで乗り、キャプテンの腹に両手でしっかりとしがみついて30kmほど先の遠征先を目指した。

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そんな学園生活が続いていたある日のことである。オートバイで通学していた1人の生徒が、カーブを曲がり切れずにガードレールに激突して即死するという痛ましい事故が起こってしまったのだ。スピードの出し過ぎが原因だ。

学校では急遽職員会議が開かれ、PTAとも話し合った結果、オートバイ通学の即禁止が決定されたのであった。

そうして、学校からオートバイの姿が消えてしまった。

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そんなことから、それ以来、高校でオートバイに触れることはなくなったし、以後〈自動二輪〉に乗ることも無かったので、現在タマに乗る〈原付スクーター〉の運転でさえ、僕はあまり上手ではないのである。

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