No.58【テリーヌの陣】

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この話をする前に、ホテルの内情を説明しておいたほうが分かりやすいと思うので、暫くの間お付き合いを願いたい。
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さて、どの業界にも裏の姿があるのだが、ホテルも例外ではない。
優雅でゴージャスなイメージのホテルだが、裏では毎日のように闘いが繰り広げられているのである。
ホテルには、総務・宿泊・営業・宴会・料飲・用度などの各部門があるのだが、中でも結婚式や会議やパーティーなどの大口の仕事に携わっている宴会課が花形部門であり、稼ぎ頭でもある。
宴会で扱う料理の量はそれは莫大なもので、料理一品を出すにも大変な労力をともなうものだ。
フレンチにせよ和食にせよ、和洋折衷にせよ中華にせよ、仮に8品目あれば8×数百人分の料理を出すことになる。
宴会課の構成はといえば、一般的に「支配人」とよばれる課長を頭に、副課長、主任、副主任、社員といる。そしてその下に「配膳」という別会社組織があって、常勤とスポットとで構成されているのが普通である。
少し説明が長くなるが「配膳会社」について話しておかなければならない。
ホテルの宴会部門というところは、忙しい時は大変に忙しいのだが、無論、暇な時もある。土日祝日は披露宴で忙しい。忘年会新年会、送別会謝恩会などはそのシーズンになると当然忙しい。ところが問題は仕事が暇な時である。忙しい時は沢山のサービス員が必要なのだが、そうでない時は要らないのだ。
暇な時があるのに大勢の社員を雇うということは、ホテルにとっては非効率である。そこで「配膳会社」が必要になってくるというわけだ。
配膳には「常勤」といってホテル社員と同じように常勤をしている者がいて、その常勤の下に「スポット」と呼ばれるアルバイト集団がいるのであるが、常勤がスポットを監督するといった立場になる。
常勤というのは、いわゆるプロウェイターで、料理飲料サービスのプロたちである。中には皇室のサービスまで経験したという猛者もいるほどだ。
「配膳会社」の仕事とは、ホテルの要望に応じて、必要な人員を、必要な時、必要なだけ提供するというものなのだ。
「スポット」とは、必要な箇所に配備する意味からそう呼ばれているらしいが、その人員構成のほとんどが大学生もしくは専門学校生であったりする。一般的なアルバイトと比べてスポットの時間給は高く、そのままホテルに居着いてしまう学生もいるくらいである。因みにホテル業界は永年に渡って男性社会であったが、近年では女性のスポットも非常に増えてきて、むしろ男性よりも優れたサービスをする女性も少なくない。
説明が長くなった。そろそろ本題に入ろう。
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さて、その披露宴は料理が和洋折衷の300人クラスの非常に大きなものだった。ところが、媒酌人、主賓の挨拶がことのほか短くて、最初のオードブルを出す時間が30分も早まってしまったのだった。
すぐに最初の前菜料理「テリーヌ」を取りに行かなければならなくなってしまった。
料理を伴う宴会では「ランナー」と呼ばれる料理を運ぶ係がいるのだが、料理が乗ったエレクターという重い台車を何台も運ばなければならない重労働なので担当は男に限られていた。
二人のランナーは、早速、調理場に走った。
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宴会の調理場は「フレンチなどの洋食を扱う部門」と「和食を扱う部門」「パンやお菓子などのデザートを受け持つベーカーという部門」がある。さらに、洋食部門は温かい料理を出す「ホット」と、冷たい料理を出す「コール」とに分かれている。「中華」を宴会が持っているホテルもあるが、扱う割合があまり多くはないので、中華料理の希望があった場合、このホテルでは料飲部門の中華レストランから料理を出していた。
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その日は別の披露宴や、他の複数の宴会が同時進行していて、調理場は戦場のように混乱していた。
さて「テリーヌ」は冷たい洋食であるから、料理は「コール場」から出る。急いでコールのデシャップ前までやって来たランナーが声を張り上げた。
「失礼します!麗爛の間、婚礼312名、テリーヌ取りに来ました!お願いします!」
「なんやとっ!今、何時やっ!予定時間は10時45分やろがっ!まだ10時回ったばっかりやないか!出せるかぃ!」
コール場のチーフが怒鳴る。いかにも職人の対応である。
「挨拶が30分も早く終わったんです。お願いします!」
ランナーが食い下がる。
「アホッ!んなこた知るかっ!」
宴会サービス陣営は披露宴が終わるまでに沢山の料理を出し切らなければならないのだ。進行が早いということは料理を出す時間が少なくなるということだ。だからより急いで料理をださなければならないのだが、チーフは進行のことなどは全く考えていない。ましてやテリーヌは冷たい料理なので随分まえに出来あがっていて冷蔵庫に保管してあるにも拘わらず出さないのである。
「45分になったら出したるからキャプテンにそう言っとけっ!」
チーフの剣幕は凄い。
二人のランナーは学生スポットながらなかなかのやり手で、ランナーの名コンビであったし、まわりの信頼も厚かったのだが今回はどうにもならなかった。
仕方がないので会場に返ってキャプテンにことの由を伝えた。
「・・そうなんですよ。◆◆チーフ、テリーヌ出してくれないんですよ。どうしましょうキャプテン!」
「なんだよ、困ったなぁ~、料理、全部出し切れなくなるじゃないか!」
担当キャプテンも憤慨している。
するとそばで聞いていた常勤の●●が窘めるように言った。
「ランナーなにやってんだ!料理とってくんのがオメーらの仕事だろうが!」
「・・・・・」
「キャプテン、俺が料理とってきてやるよ」
●●は荒っぽくて我が儘なので皆んなから怖がられ敬遠されている男なのだが、仕事は完璧にこなした。バックヤードでは怖い顔をしているが、いざ、お客様に料理を提供する時になるとニコッ!っと笑って銀歯を光らせるのだった。
「おいっ!ランナー!お前らも付いてこい!」
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●●がコール場のデシャップ前にやってきて交渉を始めたのだが、声はあくまでも冷静だった。
「チーフ、テリーヌ出して下さい」
「あほっ!まだ時間やないやろがっ!出せるかっ!」
「出して下さい」
「常勤が来たら出す思とんのか!」
「出して下さい」
「なんやとぉ~っ‼️」
チーフは手にしていたターナーをデシャップに叩き付けて●●に迫ってきた。●●も二三歩前に出て一歩も引かない。タキシード姿の男とコック姿の男が顔と顔を突き合わせて睨み合う格好になった。一触即発だ。●●は右脚を揺すりながら続ける。
「出して下さい」
「出さんっ!ちゅーとんのが分からんのかっ!ボケっ‼️」
「客が出してくれって言ってんです。出して下さい」
睨み合ったまま●●は何度も繰り返す。
「客が出してくれって言ってんです。出して下さい」
「なにぬかしとんじゃ!」
「客が出せって言ってんです。出して下さい」
「やかましいわボケがっ!」
「客が出せって言ってんです。出して下さい」
「!・・・・」」
●●は喧嘩の仕方を知っていた。客には勝てないことを知っていたのだ。
「・・・・・・テリーヌ出したらんかいっ!」
チーフは吐き捨てるように指示を出した。
(文中の「麗爛の間」の名称は架空のもです)

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