No.143【ソナタの調べ】

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僕は〇〇ピアノの調律研修生を経て、同じ浜松にある大手ピアノメーカーの、調律師を養成する学校に移籍していた。そこは実に立派な施設で、ピアノが設置された防音の個室が、ズラーッと並んでいるというような所だった。

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「君かぁ、〇〇ピアノから来たってのは」

教官はそう言いながら、僕が調律したピアノの鍵盤を指先で軽く叩いた。

《ポーーーーーーーーン・・》

ピアノは、中音から高音にかけては、1つの音に3本の弦が使われている。中低音から低音には銅巻き線が使われていて、コンサートグランドピアノクラス以外は、大体1つの音に2本から1本の弦が使われる。

それら複数の弦の音程がぴったりと合うことを〈ユニゾン〉という。〈ユニゾン〉はピアノ調律の基本なのだが、教官は私の調律したピアノの〈ユニゾン〉を調べたのだ。〈ユニゾン〉が完璧でないと音に唸りが出るのだが、教官が叩いた鍵盤の音は、音が消えるまで一切唸ることがなかった。

「う~~~ん・・君は、行く末はコンサートチューナーだな」

コンサートチューナーとは、ピアニストが演奏会で弾くピアノを調律する調律師のことである。教官に煽てられたりしながら、充実した毎日を送っていた。

ピアノ調律の世界には調律以外に〈アクション〉や〈鍵盤〉を微調整するという重要な分野がある。これを[整調]という。鍵盤のタッチと、音にも影響する需要な分野である。ピアノ調律技術の中では、実は[整調]が占める割合のほうが[調律]よりも広くて、熟練とセンスを要求される技術なのだ。

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この学校では生徒たちが5・6人づつの班に分けられていて、1つの班を1人の担任教官が担当していた。

さて、ある日[整調]の試験があったのだが、我々の班だけが1人も満点が取れなかったので、担当教官が非常に悔しがったことがあった。担任の教官が発破を掛けた甲斐あってか、次の試験で僕が満点を取った時には、教官も班の皆んなも自分の事のように喜んでくれた。

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僕の班には横浜の楽器店から来ている女の子がいた。実に可愛い子で、一際目立っていたしピアノ演奏も上手かった。休憩時間に、綺麗に調律されたピアノで彼女が弾いていた《ベートーヴェン「悲愴」ソナタ》は、それはそれは美しくて感動的だった。

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長い学校生活も、やがて全過程が終了し、皆んながそれぞれの故郷へ帰る時が来た。教官の先生方は新幹線のホームまで出て、涙で皆んなを見送って下さった。

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今でも《ベートーヴェン「悲愴」ソナタ》を聴くと、あの浜松のピアノ調律学校での日々が、懐かしく思い出されるのである。


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