No.233【寿司屋のバイト】

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高校の夏休みに、僕は勉強もせずに寿司屋で住み込みアルバイトをしたことがある。回る寿司屋なんて無い時代の、所謂〈寿司屋〉である。

どういう訳か、高校生なのに1ヶ月の住み込み賄い付きアルバイトに採用されたのだった。通っている高校からはかなり離れたところにあったので、風紀委員に見付かることもなくて好都合だった。

その寿司屋は、1階に7・8人掛けのカウンターと小さな座敷が3部屋あって、2階には小部屋が少々という小ぢんまりとした店だった。

別の街に本店があるのだが、この店は支店として開店したばかりだった。ところがことのほか板場が忙しくて、そこを補助するアルバイトを募集していたのだ。

女の子のアルバイトはすでに2人いて、ホールでの接客をを担当していた。男の僕はなにをするのかというと、カウンターの中で板前さんのアシスタントをするんだということだった。

・・・・・・・

いよいよアルバイト生活がスタートしたのだが、僕の性に合っているのか、中々に楽しいものだった。

午前中から仕事が始まって昼食の賄いを挟み、夕方の開店1時間前まで仕込みが続いた。
僕は生意気にも、板さんと同じように白い調理服を着て黒い鼻緒の高下駄を履き、頭には和食職人が被る帽子が乗っているという出で立ちだ。
板さんは職人気質で怖い人だと思っていたのだが、とても優しくて感じの良い人だった。
〈シャリの酢合わせ〉から〈蛸の塩揉み〉〈魚の捌き方〉まで色々なことを丁寧に教えてくれたものだ。素人の僕が言ってもなんだが、板さんの腕は素晴らしかったように思う。

・・・・・・・

ある日、3枚に卸した〆鯖の薄皮の剥がし方を教えてもらったあと、残りの鯖の皮をひとりで剥がしていた時のことである。

教わった通りに薄皮を剥がしていくのだが、どうしても、皮の下の、あの鯖独特の青色と銀色の縞々模様が完全には取れないのだ。そこで、割りと器用さを自負する僕は、濡れ手拭いを駆使して、〆鯖の縞々模様を完璧に取り除いたのだった。

それを見た板さんが言った。

「おいっ!お前これなんじゃ❗️」

僕は自信を持って答えた。

「はいっ!〆鯖です!綺麗に模様も取っておきました!」

すると板さんは苦笑いをしながらこう言った。

「おぉ~っ!綺麗に取ったなぁ・・でもなぁ、これじゃなんの魚か判らんだろう?鯖はあの縞がないとダメなんだよ。縞を出来るだけ取れないように皮を剥ぐのがいいんだよ」

「わっ!すいませんでした❗️・・これ・・・どうしまょう・・」

「鯖はまだあるから、これは捨てろ」

普通だったら怒られて当然なのに、板さんは優しく教えてくれるのだ。

営業中はカウンターの中に立って仕事をした。板さんが指示するものを手渡したり、作業の段取りをするのが僕の主な仕事だった。

〈ギョク=卵〉〈シャリ=酢飯〉〈しま=白ご飯〉〈あがり=お茶〉〈ガリ=生姜〉〈むらさき=醤油(味付)〉などの寿司職人の隠語を知って、ちょっと得意な気持ちになったりもした。

店に来て20日も経ったある日のことであった。金土日は当然忙しいのだが、平日は暇な時もある。カウンターの中で暇を持て余していた僕は、残り物の材料で〈ミニ巻き寿司〉を作って遊んだことがあった。それは、所謂〈鉄火巻き〉や〈河童巻き〉などの〈細巻き〉よりも、もっと細い〈超ミニ巻き寿司〉だった。なのに、中の具材は誤魔化しなく総ての種類が入っているという代物だ。

あまりの出来の良さに気を良くした僕は、むらさき用の小皿にそれを盛り付けて、料理用の小さなエレベーターで2階に上げてやった。

すると、2階で接客をしていた女の子が、その小皿を持ってすぐに駆け降りてきて皆んなに見せた。

「なにこれっ!なにこれっ!〇〇君が作ったのっ?可愛い~っ❗️」
その小皿を手に取った板さんが僕に言った。

「これ、お前が作ったんか?!」

「はい・・すいません・・・」

「器用だなぁ~・・お前、板前んなったらいい板前になるで~学校なんか辞めて板前んなれっ!」

なんと叱られるどころか褒められてしまったのだ。

このことがキッカケとなって、事もあろうに、〈巻き寿司〉と〈並握り寿司〉だけは僕が作って出しても良いということになったのだった。

そういう訳で残りの10日間は、俄か寿司職人として〈巻き寿司〉と〈並握り〉を僕が出し続けたのである。

「こりゃ、握り飯か?」

などと握った寿司を常連さんに冷やかされたりもしたが、それでも笑いながら全部食べてくれた。

・・・・・・・

楽しい1ヶ月間は、アッという間に過ぎて、別れの時がやってきた。

夜の最終バスに乗る前に、板さんが、お前が握った寿司を〈ひと折〉土産に持って帰れと言う。高級なネタばかりを使った〈握り寿司の折り箱〉には、板さんのこんな手紙が添えられた。

『お父さん、お母さん、〇〇君は1ヶ月間よく働いてくれました。大変に助かりました。この寿司は〇〇君が握った寿司です。〇〇君を弟子にして立派な職人に育てたいくらいです。有り難うございました』

バスの時間が迫ってきた。

板さんとママさんが玄関まで出て見送ってくれたのだが、バイトの女の子2人は暗い中をバス停まで付いて行くという。

・・・・・・・

まもなくバスがやってきた。窓際に席をとった僕は女の子たちに手を降って最後の挨拶をした。すぐにバスは動き出し、涙を流しながら手を降っている女の子たちの姿は、すぐに後方の暗闇へと消えていった。

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