No.313【戒律とビール】

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随分むかしのことになるのだが、日本で〈アジア大会〉というスポーツの祭典が開催されたことがある。僕はその時、各国の選手団に食事を提供するという仕事をしたことがあった。

市内の何ヶ所かに選手村が設けてあって、その中の1つの施設で〈韓国〉〈サウジアラビア〉〈バーレーン〉〈UAEアラブ首長国連邦〉などの様々な国の選手に食事を提供したのである。

料理は所謂〈バイキング形式〉で出された。選手達は部屋の回りに並べられた料理の中から好きな物を取ってテーブル席で食べるというわけだ。

料理テーブルの内側に立って、少なくなった料理を補給するのが僕の主な仕事だった。

料理は出来るだけ各国の食文化を考慮したものが出されていたのだが、面と向かって直接サービスをしてみると、外国との食文化の違いというものを肌で実感させられたものである。

ある時、〈ヒジャブ〉という頭巾を頭に巻いて、顔だけを出した〈ムスリム〉の女性が、料理が並ぶテーブルの前までやってきた。そしてある料理を指差し、片手を顔の前にもっていって、自分の鼻を5本指で摘まむようにして伸ばす仕草をしながら訊いてきた。

「هل هذا لحم خنزير؟?・・」

《えっ?何語?・・はて、鼻が長い・・象?・・何を言おうとして いるのか皆目見当がつかない》

僕は下手な英語で確認した。

「Elephant?・・・」

すると彼女は英語に切り替えて訊き返してきた。

「・・Pork?・・」

《ポーク?・・・あっ!そうか!これは豚肉なのかと訊いているんだ》

「No, this is chicken.・・」

そう説明すると彼女はその料理を皿に取ってニッコリと微笑んだのだった。

後で分かったことだが、イスラム教では〈豚肉〉はダメで、〈牛肉〉や〈鶏肉〉は、厳密に言えば、イスラムのやり方で屠殺されたものだけは食べることが出来るということらしかった。

彼女が片手で鼻を伸ばしていたあの仕草であるが、あれは〈豚〉の鼻を表しているらしい。あちらでは〈豚〉の鼻は長いという認識なのだろう。〈豚〉の鼻の認識にも大きな文化の違いがあったのだった。「Elephant?」などと訊き返したことが恥ずかしい。

・・・・・・・

韓国の選手団での思い出もある。

ある日の和食コーナーに〈巻き寿司〉が並んだことがあったのだが、それを見た韓国の選手達は大喜びをしたのである。選手全員が集まってきて、2枚の大皿に盛り付けてあった〈巻き寿司〉がアッという間になくなってしまったのだった。

選手達は口々に言う。

「더 초밥을주세요❗️」

どうやら〈巻き寿司〉をもっと食べたいと言っているらしかった。

僕は調理場に掛け合って追加の〈巻き寿司〉を作ってもらって出したのだが、それもアッという間になくなってしまった。

これも後で知ったことなのだが、韓国には、日本の〈巻き寿司〉とソックリな、韓国海苔を使った〈韓国巻き寿司〉があるんだということだった。選手達が挙って食べた理由が分かったのである。

・・・・・・・

2週間も開催されていただろうか、〈アジア大会〉も無事終り、選手村では各国の選手や選手役員などが全員集まって〈さよならパーティー〉が開かれていた。

短い期間だったのだけれども、皆んな打ち解け合って、和気藹々としたムードの中で会食を楽しんでいる。

その日は最後だということでアルコール類も出されていたので、少し酔っ払った選手達は一際盛り上がっていた。

ところが、そんな中にあっても〈アルコール類〉を一切口にしない人達がいる・・・そう、ムスリムの人達なのである。彼等は確固たる信仰心を持っているのだった。

そうして1時間も経った頃だろうか、熱気に包まれた会場では、肩を組んで踊り出す選手も出てきたりして大いに盛り上がってきた。

すると、ドサクサに紛れるように3人の男性選手が料理テーブルの装飾スカートを捲り、人の目を避けるようにしてその下に潜り込んでいったのだった。手にはそれぞれがビール瓶を持っている。僕は見て見ぬフリをした。

そうなのだ。彼等はムスリムに違いないと思う。しかし戒律を破ってでもビールが飲みたかったのだろう。

彼等は〈神の目〉よりも〈人の目〉から逃れてビールを飲んだのだ。厳格な信仰者から見れば決して許される行為ではないのだろうが、彼等の実に人間らしい姿を見ていると、お願いだから、今日だけは許してあげて下さいと祈らずにはいられなかったのである。

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