No.802【片腕の英雄】

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さて、世界では〈移民政策〉の殆んどが失敗に終っているようである。

それは、文化の違いは元よりとしても、受け入れた国側が〈移民〉を安い労働力としてしか扱わないことに対する移民の反発や、移民側もその国に尽くそうという気持ちが無いということなどが、原因ではなかろうかと推測する。

現在、日本の企業は、御用政治家や官僚を使って、外国からの〈安価な労働力〉を更に確保しようと画策しては、日本人の労働賃金をより下げることに貢献している。

反日メディアも、外国人の入国を推し薦めるキャンペーンを張っては日本人を騙し、某国の〈日本侵略政策〉の片棒を担いでいるような有り様である。

ここで政治的思想を語ることには少し抵抗を感じるのだが、正直言うと、僕は〈移民政策の推進〉には反対する。

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ところで、かつての日本にも、日本人が移民になったという歴史がある。

例えばブラジルに移住した沢山の日本人がいた。彼等の多くは入植前に日本政府から聞かされた、夢のような条件とは似ても似つかぬジャングルでの生活を強いられ、更に、現地人からは偏見の目で見られ、露骨な差別を受けたにも拘わらず、土地を開墾し産業を興してその国に尽くし、やがては尊敬されるまでになった。

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一方アメリカでは、日露戦争で日本が勝利したことによって日本を敵国視する風潮が高まり、強烈な〈日本人移民排斥運動〉が起こった。日本人は財産を総て没収された挙げ句に酷い差別を受けて辛酸を舐めさせられたのである。

また、かの大戦中には人種差別的な意味合いも含めて〈第442連隊戦闘団〉という日系人部隊が編成され、部隊は死傷率314%という過酷なヨーロッパ戦線に何度も駆り出された。それでも彼等はアメリカ人として、アメリカの為に戦ったのだ。

広島県高田郡三田村(現在の広島市安佐北区)からハワイに移住した〈井上 建〉は、1941年12月、日本軍の真珠湾攻撃によって日米が開戦するや、直ちに医療支援活動に志願、その後アメリカ人としての忠誠心を示すためにアメリカ軍に志願し、日系人部隊〈第442連隊戦闘団〉に配属される。

そして、イタリアでのドイツ国防軍との熾烈な戦闘に於いて、ちぎれかけた自分の右腕が握っている〈手榴弾〉を左手でもぎ取って敵陣の機関銃座に投げ込み炸裂させたという。そこまでして、井上少尉は「アメリカの為に」戦ったのである。

その功績を認められた〈片腕の英雄〉は、戦後、米日双方の政府から最高位の勲章を授与され、2017年4月27日には、ハワイの〈ホノルル国際空港〉の名称が、〈ダニエル・K・イノウエ国際空港〉に改称された。

開戦当時、祖国とアメリカに鋏まれた中で葛藤に苦しんだ日系人も多かったようだが、東條英機は彼等に対してこう伝えたそうである。

「アメリカ人になった以上、諸君は〈祖国アメリカ〉の為にしっかりと忠誠を尽くしてくれ」

今日こんにち、移民は嫌われ続けているが、日本人移民はその国に尽くすことこそすれども、決して迷惑を掛けるようなことはしなかったのだと信ずるものである。

日本人は〈和の民族〉であり〈義の民族〉なのだ。


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