No.85【壁】

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若い頃は随分と酒を飲んだものである。
ある日、居酒屋を梯子したあとに友人と分かれ、〆めに何かを食べようかと思ってひとりでファミレスに立ち寄った。
その時点でも相当に酔っ払っていたのだが、頼んだステーキが来るまでに、場繋ぎでさらに生ビールを呑んでいた。
ふとトイレに行きたくなった。
洗面所の鏡に写った顔は如何にも酔っている。よし、顔でも洗うか!と両手を蛇口にかざそうとした瞬間、意識がスーッと無くなっていくのが分かった。
・・・・・・・
《ん・・・?・・なんだ?》
気が付くと右の頬が冷たい。
《え?・・》
首を左右に振ってみたら、冷たいものが壁だということがわかった。
《なんで壁になんかに寄り掛かっているんだ?》
取り敢えず、壁から離れようとしたのだが身体がグッと重くて離れないのだ。
正面を見ると様子が変だ。
《ん?・・あれはスプリンクラーか?えっ?天井じゃないか!》
頭の中で世界が90度回転して、頬に当たっているものが壁から床に変わって、脳が重力の正しい方向を認識した。
《そうだ!さっき倒れたんだ!壁だと思ったのは床だったんだ!》
床に倒れていることが分かった私は腹筋に力を込め、両手で床を押しながら上半身を起こした。
どのくらい気絶していたのだろうか?誰かがトイレに来ていたとしたら騒ぎになっていただろうが、それはなかったので大して長い時間ではなかったのかもしれない。
私は立ち上がって用を済ませ、客席に戻ると注文したステーキが来ていた。根性でそれを食べたあとに、平然を装って店を出たのであった。
私の人生の中で、酒を呑んで気絶したというのは、今のところその時の一回だけである。

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