No.88【冠】

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友人に神主の息子がいた。長男なので、いずれは父が預かっている神社を宮司として継がなければならない立場であったのだが、ご多分に漏れず、高校生になってもそんなことには無頓着で我が青春を謳歌していた。
さてある日のことである。氏子さんの家に不幸があって葬式を出さなければならなくなった。
神道の葬儀式は仏式とは異なっていて、宮司が斎主(さいしゅ)を務めるのであるが、斎主の他に斎主を補佐する、副斎主・祓主(はらいぬし)・後取(しどり)などの役があった。相当に大きな葬儀でない限りは、斎主・副斎主・後取などの3名で行うのが一般的である。
ところが今回の葬儀は神職者達の都合上、父の斎主以外の人員がどうしても確保できないのだった。
そこで急遽、葬儀経験のない若い神職と、こともあろうに高校生の息子に白羽の矢が突き刺さってしまったという訳なのだが、無論、息子にも葬儀の経験などはあろうはずもなかった。
ところで、神道式の葬儀の服装であるが、「聖徳太子」が着ているような《重服》というものを着用し、頭には《冠》を被る。
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さて、葬儀に待ったはない。通夜の当日、俄か仕立ての、若い副斎主と高校生の後取は、式の作法と進行も父から軽くレクチャーを受けただけだったので不安で不安で仕方がなかった。殆んどぶっつけ本番である。
「お父さん、どうすんの?なにがなんやらわからんよ」
慣れない重服姿の息子が不安を訴えた。
「な~に、慌てずにワシのやる通りを真似しときゃええんじゃ!ええなっ!」
時間があれば父も丁寧に教えたいのはヤマヤマなのだがどうしようもないのだった。
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やがて、通夜が始まろうとしていたが、その時、父・斎主の冠の顎ひもが切れるというアクシデントが起きてしまった。けれども入場前なのでもう直すことが出来ない。斎主は仕方なくそのまま式場に入っていったのである。
副斎主と後取の2人は、少し離れた所から斎主の一挙手一投足を凝視している。
静かに祭壇の前に立った斎主は、右手に尺板を持ち、そして冠の顎ひもが切れているので、左手をオデコに当てて冠が落ちないようにして拝をした。
次に副斎主が、続いて後取も入場したのだが、2人は言い付け通り、宮司を完璧に真似して、同じようにオデコに手を当てて拝をした。
式次第は順次すすんでいったのだが、副斎主と後取の2人は徹底して宮司に倣い、式が終わるまで、拝をする度に忠実に左手をオデコに当て続けた。
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そうして、なんとか通夜が終わったのだが、宮司が不機嫌そうな顔をしてこう言った。
「お前らオデコに手ぇ当ててなにしとんじゃ!わしゃぁ顎ひもが切れとったから冠を落とさんように手を当てたんじゃ!そのくらいのことがわからんのか!いちいちオデコに手ぇ当てやがって!馬鹿タレがっ!・・・」

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