No.159【ピーチ・メルバ】

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そのホテルの総料理長は、フランス料理の国際大会で「賞」を取った人物だった。ホテル内を歩く時には、どのシェフよりも長くて高いコック帽を被り、首にはいつも「賞」を表す金色の〈メダル〉が下げられていた。

ホテルを立ち上げる時には、食器メーカーや食材関係業者などが、業者選択の決定権を持つその料理長に対して、大いに営業攻勢を掛けたようであった。

ホテルが開業した後に、世話になった食器メーカーの社長が総料理長にお礼をしようということで、ある日、そのホテルの最上階にある高級ラウンジで接待をした。

「総料理長、この度は弊社の食器・シルバー等をご指名下さいまして、誠にに有り難うございました。今日はなんでもお好きなものを御召し上がり頂きたいと思います」

食器会社の社長が総料理長に挨拶をした。

「そうかい、じゃぁ〈レミーマルタンのルイ13世〉をお願いしようかぁ」

総料理長はニヤニヤしながらそう言い放った。〈レミーマルタン・ルイ13世〉とは、1本100万円はするブランデーなのだ。

食器メーカーの社長は微笑みながらも、虫酸が走るのを禁じ得なかった。

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その日の披露宴は、300人規模のフレンチコース料理の大きなものだった。

普通300人クラスの宴会になると、前もって皿に作っておけるオードブルなどの冷たい料理以外、つまりポアソン(魚)やアントレ(肉)などの温かい料理は、皿だけ先に撒いておいて、後からプラッター(銀盆)に乗せた料理を配る、持ち回りという方法をとる。

ところがこの総料理長は総ての料理を皿盛りで提供せよという指示を出していたので、調理場は戦場のような様相で怒号が飛び交っていた。

「早よ出さんかいっ❗️料理が冷めるだろうがっ❗️」

300もの温かい料理を、レストランと同じように出すなどということは無理なのだ。それでも総料理長は皿盛りでだ出せという。さぞや調理場の料理人たちも閉口したに違いない。

料理人たちは、ちょっとでも温かい料理を出したいが為に、目一杯に熱した皿を使ったので、それを素手で持たなければならないサービス員の手は、火傷しそうな程だった。

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それでもなんとか料理を出し続けて、メニューはデセールを出すところまで辿り着いていた。

ところが出て来たデザートを見てサービス員たちは驚いた。それは8インチの皿の上に〈丸い桃〉がそのまま乗っかっているピーチ・メルバだったのだ。ちょっと傾いただけでも桃が転げ落ちそうだし、緩めのソースも垂れ落ちそうな盛り付けだったのである

サービス員は左手に3枚、右手に1枚の皿を持って運ぶのが普通なのだが、そんなことをしていたら、ほぼ確実に桃を落としてしまうだろう。時間が迫っている中、サービス員たちは、左右の手に一枚ずつの皿を持って、まるで運動会のゲームの如くに恐る恐る運んだのだった。

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以後、料理人もサービス員も泣かせるその総料理が皆んなの嫌われ者になったことは言うまでもない。これ見よがしに、いつも首に掛けている〈メダル〉を大いに皮肉って、「何がメダルだ!ありゃブリキ製だろう」と、彼には密かに《ブリキ》という称号が与えられた。

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さて、人望人格の問題は別にしても、その職人総料理長の在任中の洋食部門の料理の味が、確かに旨かったことだけは、彼の料理人としての名誉のために付け加えておかなければなるまい。

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