No.215【催眠術】

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高校2年の夏休みに、中学が一緒だっ友達ん家に遊びに行ったことがある。彼は僕とは別の高校に通っていた。

その時、彼は1冊の本をくれた。

「この本、いるかぁ?」

差し出された本の表紙には〈誰にでもできる簡単催眠術〉と書かれてあった。

「えぇ?・・催眠術?・・・」

「うん、雑誌の通信販売で買ったんだ。読んでやってみたけど全然かからんかったぞ。やっぱり通販なんか信用できんなぁ」

もう要らないというもんだから、取り敢えず貰って帰ることにした。その本は、A4版くらいの大きさで、そんなに厚みがあるものではなかった。

・・・・・・・

家に持って帰ったのはいいのだが、その本は暫くの間、机の上に投げっぱなしになっていた。

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ある日、部活から帰ってきて部屋でゴロゴロしていた時、ふと催眠術の本のことを思い出した。

《どうせ暇だし、よし、せっかく貰ったんだからチョッと読んでみるか》

そう思って、初めてページを開いたのだった。難しい内容を想像していたのだが割りと解りやすい文章だ。それには、こんなことが書かれてあった。

・・・・・・・

『催眠とは・・強引にかけるものではなくて、被験者を優しく催眠に誘導することである。リラックスして貰って信頼関係を作ることが重要である。
催眠には・・①運動支配・・②感情支配・・③記憶支配・・さらに催眠が深くなると、年齢逆行などの段階がある。徐々に催眠に誘導すること、急な誘導、強引な誘導、段階を飛び越えた誘導は厳禁で、特に催眠にかかり難い人を強引に誘導した場合、覚醒が不可能となって大変に危険である・・・』

ザッとそんな内容で、あとは写真入りで実際のやり方が丁寧に解説してある。
僕は少し興味をそそられたので、チョッと真面目に勉強して習得してやろうと思った。

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夏休みが終わり、やがて学校が始まった。
休み中に読んだ催眠術の本の内容は、完璧に理解していた。後は実践してみるのみだ。

ある日の放課後、図書室に1人の友人を誘って、実際に催眠術をかけてみることにした。友人が不安がるので、恐いものではないこと、催眠に誘導するだけで、催眠中も意識はあるんだということなどを優しく説明すると、やっと納得してくれたものだ。

椅子に座ってもらった友人にいよいよ催眠術をかけていった。

「じゃあいくぞ~・・はいっ!ゆっくり深呼吸をしましょう。はいもう1回・・・はい、もう1度」

催眠誘導を急に行うことは避けたほうがいいのだ。ゆっくりと、相手に不安感を与えずに誘導していく。

「はい、では目の前で、拝むように手を合わせて下さい・・はい、そうです・・今から、サン・ニイ・イチ、とカウントダウンしますよ。するとあなたの手の平はピタッ!とくっ着いて離れなくなります・・はいっ!3・2・1❗️」

すると自分でも信じられないくらいに、友人の手の平が離れなくなったのだった。我ながら驚いた。

初めてのことだったので、その日はそれ以上先に進むことは止めてすぐに覚醒を促した。友人はすぐに元に戻ってくれた。

それがキッカケとなって、僕の催眠術の話は徐々に校内に拡がっていって、数週間後の放課後の図書室は、毎日が催眠術ショーの様相を呈してきた。

腕をカチンカチンにしたり、縦に直立して並んだ数人を、一声で後ろに倒したりする〈運動支配〉から、架空の食べ物を食べさせたり、本来は嫌いなものを好きにさせたりする〈感情支配〉まで進んでいった。

日に日にエスカレートしていく催眠術は、とうとう、人格を変えたり、幻覚・幻聴を見聴きさせる〈記憶支配〉にまで到達したのだ。

被験者を白鳥にして、富士山の麓まで飛んで行かせて人間に戻し、目の前の富士山をスケッチブックを手渡してスケッチしてもらったりもした。
極め付けは〈年齢逆行・前世誘導〉だった。

年齢を逆行させていって、仮に小学生になったとしよう。するとチョッと難しい漢字が読めなくなったりするのだ。最高に深いとされる0歳をまだ遡る催眠をした時は、子宮内時代をさらに遡って前世らしきところに行ったこともあった。

ギャラリーは増えるばかりで、もう学校中は僕の催眠術の話で持ち切りになってしまった。

・・・・・・・

ところがある日、僕の催眠術にもとうとう転機が訪れたのだった。

その日の被験者は、中々催眠に誘導されなかった。催眠には、かかり易い人とかかり難い人とがいるのだが、かかり難いタイプだったのだ。僕は少し意地になってしまって、強引に催眠誘導しようとしていた。かかり難い人を強引に誘導すると覚醒しなくなって非常に危険なのだ。

ギャラリーの期待の視線も感じる。僕はタブーを犯して無理矢理催眠にかけてしまったのだった。

運動支配より先に進むことは危険だと思ったので、すぐに覚醒させることにした。

「はいっ!では10から1までカウントダウンしますよ~1になったら、あなたはパッ!と爽やかに目覚めますよ・・はいっ!10・9・8・7・6・5・4・3・2・1❗️」

「・・・・・・」

覚醒しないのだ❗️

数回、同じことを繰り返したのだが覚醒しない。時間が経過するばかりで被験者は目を開けてはくれなかった。脇の下に冷や汗がしたたり、胃が痛くなってきた。

それでも放ってはおけない。何度も覚醒催眠を施し続けた。

・・・・・・・

どれだけ時間が経ったのだろうか、もうダメだと諦めかけた時に、被験者はやっと目を開けてくれたのだった。安堵の溜め息が出たと同時に、深い疲れがドッ!と襲ってきた。

それが最後の、僕の〈催眠術〉になった。

・・・・・・・

あれから今日までの数十年間、催眠術をやったことは、ただの1度もない。

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